神ってる

始まりは「神対応」だったと思います。だれそれの対応が、大人だった、素晴らしかった時の、称賛の言葉。以前なら「大人だねー」とか、「もっと大人になりなさい」と言われていました。いつの間にか「神」になってしまって。
それは、いま「大人が大人たりえない」からなのか、それとも「大人っていっても、大したことないじゃん」と、見透かされたのか。どっちもでしょうね。「いま時の若いものは」と言うけれど、「今どきの大人」の酷さも、相当なものですし。
広島が逆転で巨人を下してリーグ優勝を決めた、あの試合。思わず唸った言葉が、「神じゃない、実力だ」と。解説の大野氏か小早川氏のどちらかが、洩らした一言です。あの時の後楽園はすごい雰囲気で、みんなが手作りのカードを掲げていました、
その中にあったのが「神ってる」。今年の広島を象徴する言葉なのでしょうか。今回も、巨人に先行されながらの逆転。さらに鈴木が、まさかの連続ホームラン。もう「神ってる」でショウ、と言うとき「神じゃない、実力です」と、冷静に発言。
そしてVTRのスロー再生で分析。これこそ「大人でしょう」対応。神、といってしまえば、それまでの本人の努力は加味されない感じがある。まぐれ、みたいな。でも、実力は、完全に本人が作り上げた物でしょう。もちろん、生まれつきもあるけど。
だから、「神」の力ではなく、本人のこれまでの積み重ねによるもの、という評価をしてあげた、その瞬間でした。
つまりは、世間には「真に努力をしないで実力もないのに、地位ばかり手に入れた大人」が多い、てことでしょうね。本来の意味の「大人」が死語。これは、誰の責任なのでしょうか。神?詳しくはこちら

スーホの白い馬

朝日新聞に、なんだか見たことのある絵が載っていて、朝から見入っちゃた。元気そうな少年が白い仔馬を抱いている。「スーホの白い馬」の挿絵だ。懐かしいな。あのころの教室、先生。
なんでも、この童話の挿絵を描いた画家の遺品から、モンゴルの写真がいっぱい出てきたそうなんですって。戦争中、内蒙古にいた人で、かなり写真を撮っていたらしいと。
で、このお話の挿絵を描くにあたって参考にしたものがあるとか。挿絵はあまり覚えていないけれど、お話はとてもよく思い出せる。スーホと言う少年と仲のよかった白い仔馬がいた。
あまりに素晴らしい馬だったので、権力者に取られて、死んでしまった。少年は、その骨で馬頭琴を作って、ずーっと一緒にすごした、というお話。馬頭琴て、どんな音だろう、て思った気がする。
いま思うと、先生も取り扱いに困ったのかな。なんだか淡々と終わった気がする。でも、お話は、しっかりと心に残っている。それでいいのかもね。先生があんまりグダグダ説明するより、本質が残るのね。
もともと理科の先生だったから、教室の窓に星座が貼ってあった。とてもきれいだった。でも覚えているのはオリオン座と白鳥座だけ。先生ごめんなさい。
いまも、教科書には「スイミー」とか、「白い帽子」とか、素敵なお話がある。教え子が、小説の展開が解らない、と悩んできました。で、灘中で伝説の国語教師だった人の本をあげた。
人それぞれに物語と向き合い、それを素直に授業にすればいい、としか言えなくて。教育の真価は、何十年後かに教えられた当人が判定するものでしょうから。生理前のイライラの薬なら…